今日も酒を言い訳に。

メンヘラの恥ずかしい毎日

あたしに髪を切らせた男

「♪テレレテレレテレレテレレン

テレレテレレテレレテレレン」

枕元のスマホから大きな音が鳴って起きた。起こしてくんの誰や、腹立つ、そう思いながら画面を見ると、彼の名前があった。画面上部に小さく「2:30」と書いてあったが、関係なかった。まだ光に慣れていないボヤつく目で、急いで電話に出た。

 

「もしもし」

寝起きの声で、あくびまじりに言った。

「もしもし」

彼にしてはへにゃへにゃした返事が返ってきた。

「俺な、今な、歩いて帰ってんねん。

バイト先でな、飲んでたら終電逃してんな…やから、帰りお前と話そ思って」

べろべろで、きっと真っ直ぐ歩けていないんだろうな、なんて想像してしまうような声で、そんな可愛いこと言ってくれるんだなって嬉しくなった。明日も仕事だし、普通だったらクソ迷惑だけど、あと30分くらい起きちゃいたくなった。眠たいから「そっか」しか返事は出来なかったけど。

「てか寝とったん?起こした?ごめんなぁ」

こんな時間寝てるに決まってる。寝てない方がおかしい。けれど途中でハッと思い出した。そういえば彼は留年していた。

「あたし、明日仕事あるけん」

「あぁ〜…社会人は寝てるよなぁ、夜やもんなぁ…最近どうなん?」

「どうって?」

「友達とか」

彼と最後に遊んだ時、あの時1番仲良かった友達はもう友達じゃなくなってしまっていた。あたしが風俗を始めたあたりから、あたしの事を見下して「ジジイの相手頑張ってな」とか「そんなんようやるわ」とか嗤われて、彼女とはすっかり疎遠になってしまっていた。思い出したら悲しくなって

「1人減ったかなぁ」

と、言った。

「え?!お前がそんなことあんの?

それ、向こうから切ってるよな?

だってお前めちゃくちゃ優しいし、そんなんないやろ!」

彼の少し高めの声が、いつもより少し高くなった。あたしのこと、そんな風に思ってくれてた事が嬉しかったのが7割、あたし友達少ないけどな、が2割、この人のこういうところが好きだったな、が1割。

 

19の時、あたしは彼が好きだった。

当時入っていたサークルの同級生で、新歓で話しかけられてすぐに仲良くなった。何人かでオールでカラオケに行ったり、友達の誕生日を一緒に祝う友達だった。「一緒花火行く?」と言われたり、週に2回くらいあたしの家にご飯を食べに来ていたり、オールに疲れて寝ていたあたしにキスをしてくるような「友達」だった。

邦ロックが好きで、RADWIMPSとかフォーリミテッドなんとかとか、そういうのをよく聴いていて、あたしが好きなクリープハイプの曲の中だと「寝癖」が好き。好きな女の子のタイプは年上のショートカット。本田翼が好き。

彼のことは面白いくらい鮮明に思い出せる。だってね、あたしの唯一のまともな恋愛だったから。浮気相手でもないし、セックスもしてない、エロいことなんか全く絡んでなくて、出会い方も大学のサークル。こんなのフォルダ保存に決まってんじゃん。彼はあたしにとって、間違いなく唯一無二だ。

 

「大学どう?友達おらんくて寂しい?」

「いや、うちのサークル俺以外4人くらい留年してるからそんなことないわ〜」

笑いながら彼は言ったがあんまり笑えなかった。

「春から何するん?」

「ん〜俺、社会とか向いてへんし、今のバイト続けんねんなぁ〜」

かなり引いたけど、彼らしいとも思えた。彼のこう言うダメなところが、この世の中から守ってあげたくなる感じが、あたしにはたまらない。

 

彼の話はめちゃくちゃ面白い。冗談が多くて、お笑い芸人と話しているみたいで、ずっと笑っていられた。

「俺また太ってな、ポケモンに似てんねん。ゴルダックっていう青いやつやねんけどな。また俺の腹触ってな」

ゴルダックで検索すると、顔もなんとなく彼に似ていた。ビール腹なのが想像出来て面白かった。そういえばめちゃくちゃ腹を揉んでいたことを思い出したけど、恥ずかしいからその話はスルーした。

 

「俺と毎日話したら、腹筋割れんで」

と言われた。ほんとにそのくらいの勢いで笑っていた。

明日も仕事だし30分で寝ようと思っていたのに、あと少し、あと少しと思っていたのに、もう時間なんてどうでもよくなっていた。

 

「今度また飲み行こや、お前の奢りな」

「俺な、お前が1回ショートにしてた時めちゃくちゃ可愛いって思ってん、図書館前で手振ってくれた時、可愛かったなぁ、場所まで覚えてんもんなぁ」

「絶対またショートにしてや」

彼はずるい。

私は昔、彼のためにショートにしたことがあった。長かった髪を20センチ以上切った。くせ毛であまり短くしすぎるのは美容師に止められたが、あごの辺まで短くしたのだ。髪を切った日、彼と2人で晩御飯に行った。

「ショートにしたんじゃ」

「それはショートちゃう、ボブやで」

そう言われてしまい、切った意味が無くなった。女の子の決心は泡よりも簡単に消えてしまうものなんだと悲しくなった。帰って泣いた。

その後別の男と付き合っている時に、ノリで刈上げるくらいのショートにした。図書館前で彼に会ったのはその時だった。

 

「俺、知り合ってすぐ付き合うとか無理やねん。最初友達でな、そのあとだんだん好きになるのしか無理やねんなあ」

これもずるい。そんなのあたしの事好きになるかもなんて、思っちゃうじゃん。

「でも、そう言う友達って、純粋な友達じゃないじゃん。最初からちょっと特別じゃん」

ムカついたから意地悪を言った。

「それなんよなぁ、俺はその期間が半年以上いるねん」

またずるい。あたし達は、間違いなく純粋な友達じゃないのをお互いが自覚しているし、あたし達はこの微妙な「友達」をもう4年以上続けている。ずるいずるい、馬鹿だから「お前のことちょっと好き」って聞こえちゃう。

 

彼のことをずるいと思いながらもドキドキしてしまって、「飲み行こや」が嬉しかった。あたしの奢りとか、そんなのはどうでも良くて、気づいたらなんの服を着るか、髪型をどうするかを真剣に考えてしまっていた。そして、遠回しに男関係の質問をしてくる彼に、なんとなく彼氏の存在を隠していた。あたしの方がずるかった。このまま彼氏がいるかいないかフワフワにさせたまま、2人でご飯に行きたいと思っていたけれど、

「彼氏おるん?」

の一言で、思惑通りにはいかなくなってしまった。

「おるよ」

とちゃんと答えた。

 

彼氏とはかなり上手くいっている。

かっこよくて優しくて、理想の彼氏を越えてくるような存在で、嫌なところなんかほとんどない。人のことをバカにしたり、見下したりしない。連絡はマメでほぼ毎日電話をしてくれて、財布を出すと怒るし、荷物はいつも奪うように持ってくれてる。

ロングヘアが好きで彼氏のために今髪を伸ばしている。

彼に不満など何ひとつないし、大好きな自慢の彼氏だ。

 

なのに、どうして、彼に彼氏が居ることを知られたのがこんなに残念なんだろう。

 

彼はあたしに彼氏がいると知ると、一緒にご飯に行こうと言った話をなかったものにしようとしてきた。やっぱあたし達は、友達じゃないんだなって思った。

でもどうしても会いたかったから、

「奢るけん王将行こうや」

とごねた結果、次の土曜日の夜、王将に行く約束をした。

 

その後少し話をして、さすがに眠くなって

「寝るね」

と言ったのが朝4時半。

寝る前に、なんの服を着ようかな、マツエク予約しようかな、なんの話しようかな、あの時髪の毛切ったのはお前のためって言ったらなんて顔するかな、なんてウキウキしてしまっていた。

 

朝起きると、家を出る30分前だった。馬鹿だなと思いながら猛ダッシュで準備した。あたし、ちゃんと社会人だもん。

今の彼氏のことが好きだし、こっそりご飯に行くなんて浮気だし、王将奢る意味もわかんないなと思いながら駅まで歩いた。駅までの数分は彼の事で頭がゴチャゴチャになっていた。

 

なんとかいつもの電車に乗って、イヤホンを耳にさして音楽のシャッフル再生ボタンを押すと流れてきたのはクリープハイプの「寝癖」だった。アップルミュージックって、たまにそういうことするよね。

今日の天気でも見ようとサファリを開くと出てきたのはゴルダック。昨日の2時間にも満たない電話で、あたしは彼でいっぱいになってしまっていた。

 

彼のことは好きだった。

けれど留年して春からフリーターで、連絡は1日1通くらいしかくれなくて、奢ってくれなんて言ってくる男とこれから付き合うなんて選択はない。

あたしはお前とは対照的な今の優しくて最高の彼氏に、幸せすぎる毎日をもらっていて、幸せのシロップ漬け状態なのだ。

 

だから、彼みたいなヒモに近い男なんて、今更無理。

 

でも、でも、

どうしても彼と王将に行きたくてたまらない。

 

「じゃあお前は土曜日、『今日』ってLINEしてな。そしたら俺は『バおわ』ってLINE返すから『り』って返してな。それで集合やで」

 

どうかあたしが、『今日』なんてLINEを送りませんように。

先生に嫌われる子

今思えば小学校1年生の担任にはいじめられていました。

担任の先生は私が入学する時にうちの小学校に来た人で、白いジャージの30ちょいくらいの女性。

あたしともう1人ターゲットがいて、2人をいじめていました。

例えば理不尽なことで掃除時間に怒られ、掃除時間の後の授業の間ずっと雑巾がけをさせられたり、「そんなんだから友達が居ないんです」と怒られたり、絵本を持っていくと先生が音読してくれる授業があって、私が持っていくと「自分で読んでね」と先生は宿題の丸つけをしました。もう1人のターゲットは図工で描いた絵に「こんな絵描くな」と言われ、画用紙を洗われていました。

泣きながら学校に行っていることに親が気づき、小学校の先生の所に話しをしに行ってくれました。その後先生が変わったかと言えば、そういうことはありませんでした。

その先生はその後7年くらいその小学校にいて、他の保護者からも学校に苦情が行ったり、友達がその先生のせいで学校に行けなくなったりしていました。

 

私は負けず嫌いでしたので

「そんなんだから友達が少ない」

と言われて腹が立ち、その後たくさん友達を作りました。小学校5年生まではかなり活発な方だったと思います。

でも、6年生になったあたりで、

「もう外で遊ぶのとかしんどいなぁ」

と思い始め、陰キャエスカレーターを昇ることとなりました。

 

中学に入った私はゴリゴリの陰キャで、ハイカーストの人とは話せませんでした。テストは全教科平均すると75点くらい。得意なのは社会と国語、足を引っ張ったのは数学。

別に校則を破ったり、やんちゃしたり、授業中に話したり、宿題をしなかったりする訳では無いのに、

「あの先生、あたしのこと嫌いなんだな」って先生は何人もいました。あれ、不思議ですよね。先生って、陰キャにめちゃ冷たいですよね。

高校を適度に破ってキャピキャピしている子が先生に好かれていましたね。あと運動ができる子。なんか色んなこと許されてましたよね。態度ちがったし。

先生のことは別に嫌いじゃなかったけど、嫌われてるとなんか嫌いだなって思えてきたし、学校は先生に好かれてないと不利益の多い場所でした。だから、なんとなく先生も学校もそんなに好きじゃありませんでした。

 

高校はいじめにあって、まともに通ってないので割愛。

 

大学は見事第一志望に合格。

バカなので無理だと思っていた大学に入れてかなり嬉しかったし、夢のようでした。

キャンパスライフはかなり楽しかったですね。自由だったし、先生もいい人ばかりでした。ゼミの先生のことは大好きで、こんなに先生を好きになることがあるんだなって思いました。

 

入社しました。

ついに先生がいなくなりました。

会社はすごくしんどい場所だと思っていましたが、毎日が割と楽しくて、もっと頑張ろうと思って過ごしています。

 

働き始めてから気づきました。先生って学校が好きな人がなるもんなんだなって。あたりまえなんだけど、今まで気づかなかった。で、あたしは学校が嫌いだったから、先生とは合わなくて当たり前なんだなって。

大学の先生が好きだったのは、あの人は教育学部を出て先生になったんじゃなくて、研究してる学者だからだと思います。

 

小学校、特に低学年では先生が言うことは絶対でした。女王のいる教室ってほどじゃないけど、先生が言うことは正しいって感じでしたよね、先生がルールでしたよね。

先生に気にいられないと、ダメだったんでしょうね。

中学は先生に気にいられないと、居ないものにされませんか?体育とか文化祭とかは顕著だったと思います。あたしっていてもいなくてもいいんだなって感じ強すぎ。

 

学校で生徒がすることは「勉強」でした。教科もそうだけど、人間関係とか、社会の仕組みとか色んな事を学ぶのが役割でした。

でも、そんなフワッとした役割は、いないものにされやすいのです。

私はずっと「そこに居なくてもいいんだよ」という雰囲気を感じていました。むしろ「いなくなれ」と言われていると感じる時もありました。

 

そう思うと仕事は楽です。役割があります。やらないといけないことをしていれば時間が過ぎるのです。学校ほど人間関係に気を使わなくて良いのです。(まぁ職種や業界にもよるんでしょうけど)

 

先生が嫌いでした。先生も私か嫌いでした。

あの頃机から見ていた先生が、どんな人間だなんて分かってませんでした。道徳感がしっかりある、まともな人で、この人がルールだとおもっていました。だから余計辛かった。この人に好かれない自分が悪いと思っていました。

 

小学校、中学や高校の多感な時期に出会う先生は大きな影響を持った人です。私を形成した一部と言っても過言ではありません。

だから先生に嫌われるような人間に生まれてきたこと、この歳になってもなやんでしまうんだと思います。こんなブログ書いちゃうくらいに。

 

 

 

 

 

 

客にレイプされた日のこと

数ヶ月前まで風俗嬢でした。

業種は性感エステ。お店にもよるけど、マッサージと手こきが基本サービスで、キスや、受け身(手マンとかクンニ)がないところが多いです。

キスが無理だった私は、そういうお店でしか働けず、ずっとエステの業界で働いていました。

 

ある日、スカウトに声をかけられました。

私はスカウトに声をかけられると必ず「アベ○万稼いでて、キスなし、受身なしでそれより稼げるなら紹介してください」と言っていました。何様って感じですね。

そう言うと基本は「ソープなら」とか言われるんですけど、その日声をかけてきたスカウトの吉田くん(仮名)は違いました。「頑張らせてください!死ぬ気で探します!」それを聞いて、LINEを交換し、本当にそれが可能な条件のお店を探し出してくれました。びっくりしました。

「ただ、高級店で、面接受かるかはお姉さん次第になります」

そう言われて、(まぁ落ちるかな)と思いながら面接に行くと、採用されて、凄く嬉しかったです。

顔が良いわけでは無いので、太っていない事と「そのサービス内容なら大丈夫なので、なんでも頑張ります!」と言ったことが決め手だと思います。

風俗の面接は普通は10分程度で終わるのですが、そこの面接は1時間あり、店長と色々なことを話し込みました。

「私はキスや受身はできません」

「ちゃんと断っていただけたら大丈夫です」

「下着はサルートでないとダメですか?」

「最初は普通のTバックでいいです。お金が貯まったら揃えてください」

「写真撮影は○○日にしましょう。講習はこの日で」

とにかくきっちり話し込みました。向こうも本気でした。頑張ろうと思えました。

 

真面目に風俗をしていたので、頑張ろうと思って出勤した初日、まずキレられました。

「その化粧なんやねん。そんなんスッピンやん!」

意味がわかりませんでした。面接の時と同じ化粧でした。面接の時の店長とは思えない言い方でした。

「うちは10人受けて1人受かるか受からんかの店やねん!意識低すぎるねん!」

泣きたい気持ちを堪えました。そんなに化粧が気に入らないなら面接で落としたらいいのにと思いました。

けれどお客様に会う前に泣くなんて、そんなことできません。死ぬ気でめちゃくちゃ濃い化粧をし直しました。馬鹿みたいなアイシャドウ、マツエクの上からマスカラ、おてもやんみたいなチーク。ウケる、しか感想出ない化粧でした。けれど仕事なので仕方ありません。

 

「キララちゃん、予約です。車に乗ってください」

車に乗りこみ、お客様の所へ向かいました。

最初のお客様はレオパレスに住む若い男性。ここは本当に高級店なのかな?と疑いました。けれどお客様の出した金額はしっかり高級店。無理をしてでも風俗を呼びたい人はたくさんいるのかも知れません。

マッサージをして、性感プレイにはいります。

「ねぇ、入れていい?」

お、きたきた。みんな1度は言ってみるやつです。でもこんなのは慣れっこなのです。

「だ〜めっ!もぉ〜、○○さん超エッチだなぁ〜!」

そう言いながらケラケラ笑い、これ以上の会話を避けるために乳首を舐めちぎる、これが私のスタイルでした。

「ダメかぁ〜…あっ、、、あっ、、」

彼はしっかりそのスタイルにハマってくれました。

 

1件目の仕事を無事に終え、事務所に戻ります。ドライバーさんにお腹が空いたからコンビニに寄りたいと伝えると

「ここの店、働いてる途中には食うなって言われるらしいねんな…腹が出るからとかが理由らしいねんけど、バレへんように、車で食べるんで」

と言われてびっくり。気にせずおにぎりと、からあげくんを食べました。腹が減る方が接客の品質下がるので。

 

事務所に戻ると、ほかの女の子がいました。

高級店の子はみんな可愛いと思っていましたが、そんなことはありませんでした。

みんな細いか、むちっとしたエロさのある体つきで、顔は普通か、整形しまくっている不自然な顔が多かったのです。確かに美人もいます。けれど、全員では無いことが、私には驚きであり、私が採用されたことを納得する理由にもなりました。

 

2件目の仕事が入りました。

向かったのは超一等地の超高級マンション。

玄関はルブタンが10足以上並んでいて(成金系かぁ〜…)と思いながら入室。金持ちって感じのリビングには、ハイブランドのショッパーが山ほど置いてあり、服もカバンも、キーホルダーでさえも10万を切る物を見つけることが難しいような部屋でした。家賃は100万を超えると思います。

そこに出てきたのは黒光りのマッチョ35歳。プライドが高そうな自信家でした。

一応「えぇ〜!かっこいい〜!」と言いながら筋肉を撫で回しました。

いつも通りプレイを開始し、ベッドでマッサージ。

「マッサージもうええから、エロい事せぇへん?」

出た。慣れっこです。

「え〜!今から超エロいマッサージするのにぃ〜?!あたし○○さんの筋肉撫で回したいし、もうちょっと触らせて〜!」

ここで会話から逃げるために背中を舐める。この人はいやな客だな、絶対マッサージ時間を長く持たねば、そう思いましたが、マッサージを引き伸ばすにも限界があり、性感プレイが始まります。

「俺に触られたら気持ちいい?」

「やばい…気持ちよすぎ…」

恥ずかしそうに、目を合わせずに言います。心の中ではアホか?と思っています。でもそれを相手に悟られてはいけません。めいっぱい感じている、本気で気持ちいいと思わせないといけません。必死です。受け身(と言っても乳首触られる程度ですが)は気持ち悪すぎるので早く終わらせるべく、体制を変えました。

キスをされないために乳首を舐め、手こきをしました。彼は手こきではイにそうにありませんでした。

「フェラしてや」

「入れていい?」

全部笑ってかわします。慣れっこです。

「俺、入れなイかれへんねん」

みんなそう言います。慣れっこです。

「なぁ、入れなイかれへん、入れていい?」

「ダメ〜!」

笑いながら言いました。でも勝手に体制を変えられてしまい、彼はゴムをつけ始めました。

「ダメダメ!ほんとにダメ!」

笑いながらもしっかり相手のお腹を手で押して避けました。人気のためには断り方も上手くなくてはなりません。相手を不快にさせないよう、可愛く断らないといけないのです。でも、それがダメだったのです。

「いいやんか」

彼は無理やり押し当ててきました。なかなか入りません。彼は私のあそこを触り

「全然濡れてへんやん…」

と言いながらもそれを無視して入れました。ものすごく痛いし、気持ち悪い。こんなに不愉快なのは初めてでした。生ぬるい感触と、鳥肌が立つ気持ち悪さが蛇のように、私の脚に絡みついていました。

ここまでされたら彼はお客様ではありません。店のルールに反しているのですから。

「ホントにやめてください」

無表情でそう言いました。彼は2プッシュで抜きました。そのあとは泣きたい気持ちを抑えてニコニコプレイをして、帰りも笑って帰りました。足には蛇がまとわりついたままでした。

 

帰りの車に乗った瞬間、彼氏の顔が浮かびました。

「ごめんね」

そうLINEしました。

隠し事は苦手です。振られると思いました。生きている意味を失いました。ただでさえ風俗嬢で汚れているのに、さらに汚れた女を愛してもらえるなんて思えませんでした。

スカウトの吉田くんにもLINEをしました。

「すみません、この店やめます」

吉田くんはすぐ返事をくれました。終わってから説明すると返しました。

車の中で涙をこらえ、まとわりつく蛇の気持ち悪さにも耐えました。感触はしっかり残ったまま。こんなに少しだけなのに、しかも客なのにこんなに怖いなんて、思いもしませんでした。本当にレイプされた子はどれだけ怖いか、きっと私には想像出来ないほどなのでしょう。

 

事務所に戻りました。店長に「無理やり入れられたんですけど」と言いました。

「で?次の仕事行ける?予約あんねんけど」

「行きます」

それ以外に答えはありません。だって仕事なんだもん。

本当は泣きたい。風俗1年してきても、こんなこと初めて。全然慣れっこじゃない。意味わかんない。彼氏に振られるかも。女の子が困った時に助けてくれるのはお店の仕事じゃないの?今までの店はやばいお客さんいたらお店が助けてくれたのに、なんで?

全部抑えました。仕事なので。

 

時計は深夜1時をまわっていました。

彼からLINEが入りました。

「どしたん?とりあえず今から行くね」

私たちの距離は100キロ以上ありますが、彼は行くと言ったら来る人でした。

何も伝えていないのに察されたことがショックでした。でも、彼に会えるのなら、あと1件頑張れる気がしました。

 

3件目の仕事に向かいました。

普通のファミリー向けマンションでした。28くらいの普通の男性。

普通にプレイしました。辞めることを決めていたので、それなりに手抜きだったと思います。

「なぁ、いれるで?」

彼は当たり前のように言い、ゴムをはめ始めました。

「ホンマにダメ」

強めに言いました。50センチほど離れました。

「入れていい?ちょっとやったらええやん」

「何回お願いしてもダメ!する気ないよ」

強く言いました。さっきのことがあったので、自分を守るのに必死です。店のことも、仕事のことも知りません。

彼は「えー…そんなことある?」とボヤきました。

帰り際に「俺ここの店、3日連続呼んでるねんけど、断られたん初めてやわ。みんなしてくれる店やのに」と言われました。

なるほどね。だからみんな「入れていい?」って聞くんだ、やっとわかりました。

 

バカみたいです。

私はどんなお店でもルールを守ってやってきました。なるほどね。大阪はそんなお店ばかりなのに、普通にルール守ろうとしてバカみたいです。

 

帰りの車で涙があふれました。

とりあえず吉田くんに電話して、あったことを説明しました。吉田くんはほんとに良いスカウトで、しっかり対応してくれました。

「店とは直接連絡取りたくないし、顔も見たくない。無理やり入れられたのに、守ってくれないなんて酷い」

「お店にしっかり聞いてみます。とりあえず退店しましょう。落ち着いたら話しましょう」

この時、スカウトが吉田くんでよかったと思いました。

 

ドライバーさんは黙ってティッシュを渡してくれました。

涙が止まりませんでした。ワンワン泣きました。

彼氏から「3時には着く」というLINEが来ました。さっきまでは会えるのが嬉しかったのに、今はあって何をどう伝えたらいいのか分からず、辛い気持ちしかありませんでした。生きているのがつらいし、たかが2プッシュなのに、自分の腟内に生々しくその感触が残っている事に吐き気がしました。

 

家に帰ると彼はもう家のそばにいました。

何も言わず抱きしめてくれました。それが悲しかった。今は凄く汚れているから、ちゃんとシャワーを浴びたいという気持ちしかありませんでした。

「汚いから」

「汚くないよ」

彼はずっと優しかった。

ビービー泣く私を何も言わずに抱きしめてくれました。

 

この後彼の家に一緒に帰って、2人で寝ました。車の中でも落ち込んでいる私を、ずっとよしよししてくれました。何があったかを泣きながら話すと、悲しそうな顔も、気持ち悪そうな顔もせず、私を心配してくれました。彼だってきっと辛かったのに、そんなことは一言も言わず、私の辛さだけを受け入れてくれました。

 

後日スカウトから

「店は無理やり入れられたとか聞いてないし、もしそうならちゃんと話を聞きたいって言ってますよ」

と言われました。虚言癖のメンヘラかよ。

ついつい

「は?あたしちゃんと言いましたよ?絶対おかしいでしょ!泣かずに言ったからそんな大したことないって思っただけじゃないですか!?」

と吉田くんにキレてしまい

「すみません、吉田さんは何も悪くないのに…」

と謝りました。吉田くんは苦笑いで

「そうですね…」

と言ったあと

「でも僕からもちゃんと伝えておきますし、こういうことをちゃんと僕に言ってくれてよかったです。僕、キャバばっか紹介してきたんで、風俗経験あんまなくて、今後に生かします!」

と言ってくれました。新宿スワンかよ。吉田くんでよかったと思いました。

 

彼と私の間で、この日の話はなんとなくタブーになっています。良い思い出では無いですからね。

けれど、彼のことを本当に信じられるのはこの日があったからです。

「汚くないよ」

と言って抱きしめてくれたからです。

 

その次の日からの私たちは普通でした。

近くで買い物をして、よく行くラーメン屋に行ったり、居酒屋に行ったり。何も変わりませんでした。

それが幸せです。今も幸せです。

あたしの写真を撮ってくれること、一緒に美味しいご飯を食べに行くこと、あたしがご飯を作る度に写真を撮って「嫁やん!」って言いながらご飯3合平らげること、料理なんか出来ないのにウインナーと卵を焼いて朝ごはんみたいな晩御飯を作ってくれること、全部幸せです。

たくさんお金はいりません。彼がいるだけでこんなに幸せなのです。

特別なこともいりません。こんな毎日が続いて欲しいだけです。

 

辛い時は絶対に助けてくれる彼と、ずっと一緒にいられますように。2年後には、一緒に住んで「お米よく食べるせいで、今月カツカツじゃん!」なんて笑っていたいな。

もし彼に辛いことがあったら、その辛さを受け止められる人になりたいな、それが今の気持ちです。

 

 

 

 

就活中のブスのみなさんへ

就活中のブスのみなさんへ

 

調子はどうですか?

もう内定が決まった子、コロナで苦戦している子、やりたいことが見つからない子、祈られすぎて心が折れてしまった子、意識の高い友達にうんざりしてる子、色々いると思います。

私はこの春新卒で会社に入った1年目です。去年の今頃には今の会社に内定し、就職活動を終えて、整形しに韓国に行っていたと思います。

 

みなさんの就活の軸はなんですか?

私は「ブス」でした。

 

私の代は売り手市場と言われていました。しかし、私が売り手市場を強く実感することはありませんでした。

3回生の春頃にインターンシップに参加し始めました。意味がわからないディスカッションを何度もしました。アレ、ホントなんなんですかね。何も分からないまま帰宅し、何となくパンフレットを眺めたりしていました。

やりたいことは何となく不動産ディベロッパーか、食品メーカー。でも、何となく。ぼんやりとそう思うだけで、強い思いなどありませんでした。やりたいことを見つけなければならない空気に飲まれていただけでした。

当時の私はモラハラ元彼と交際中で、やりたいことよりも

「モラくんと結婚したいから、モラくんの近くに就職したい」

なんて思っていました。モラくんも「一緒に住みたいなぁ」なんて言っていました。

 

冬になりました。相変わらず意味を感じないディスカッションをしていました。やりたいことは分からないままでしたが、嫌いな企業がわかり始めた頃でした。

年が明けました。友達との話題は就活一色になりました。

「あたし空港で働きたいねん」

「大手の○○って会社入りたいねん」

友達のそういう話を聞くと焦りました。

ストーリーに「今日は東大生達とディスカッション」とか「企業研究の末に、あたしのやりたいことは〜」とか、そういうのが増えて、げんなりしていました。

インターンシップには何社も参加していたし、毎日マイナビリクナビも見ていました。ちゃんとしているつもりでした。でも、自分ってそうじゃないんだなって追い詰められていました。

そしてその時期は私がブスに耐えかねて整形するために風俗を始めた頃でした。したい仕事も見つからない、でも仕事に就けたとしてもあたしはブス、意味無い、そう思っていました。世の中は顔なので、ブスが働ける場所なんかあるのかな、と思いました。

そんな時に見つけたのが線路の保守管理の会社のインターンシップでした。「文理不問」の文字がキラリと光っていました。文系の仕事は営業が多いです。ブスの営業って、絶対辛いと思います。線路の点検なら、人の顔を見なくていいのです。ブスでも関係ないのです。だから営業以外の仕事に魅力を感じインターンシップに参加しました。

 

その会社は、男女比がほぼ男。女は1%くらいでした。私は思ってしまったのです。「女がいなかったら、比べる人が居なくてブスとか悩んだりしなくて良くない?」と。ひらめいてしまったのです。

 

やりたいことは見つからないまま春が来ました。就活解禁、合同企業説明会、略して合説に参加しました。

大きな会場がぎっしり埋まるくらい大学生が殺到しました。みんな、リクルートスーツでした。当然私も。そういう時に気づいちゃうんです。「あたし、この会場でめちゃくちゃブスじゃん」って。

大学へは好きな服で行きました。髪も巻きました。好きな化粧をしていました。何となくごまかせた気持ちになった日もありました。でも、リクルートスーツは、みんな同じ。顔が小さくて目の大きいあの子の黒いスーツと1本結びと、私の黒いスーツと1本結びは違うものみたいでした。リクルートスーツは素材が生きてしまうのです。あの子が伊勢エビなら、私はカップラーメンの中のエビのカスでした。死にたくなりました。毎朝アイプチで必死に作っている二重が、リクルートスーツでは浮いていて、それも余計に悲しくなりました。

更に私の心を苦しめたのは、企業ブースの女性が美人ばかりの会社がいくつもあることでした。その会社は顔採用、もしくは「こういう人前に出す行為は顔の良い女性にさせたい」という意思があることを示していませんか?私みたいなブスは社会に必要とされていないんだなぁって、改めて感じました。ブスが女子アナになれないように、ブスがなれない仕事は思ったよりたくさんあるのかもしれません。

 

私はこの頃あたりで

「やりたいことより、続く仕事がしたい」

と強く思いました。ブスでやめたり、意地悪言われたりしたくないのです。ブスでハブられたくもありません。

「休日にみんなでBBQしよ!」とか言いながらハイカーストの人達だけを集めてBBQを開催し、私みたいなのを排除したのに「みんなでBBQ最高!同期マジすき」とか書くやつが多そうな会社は受けるのをやめました。

女が少なく、BBQ奴みたいなのがいなさそうな会社を血眼になって探しました。なかなか難しいですが、探せば割とあるものです。

 

面接に行き、そのままリクルートスーツで風俗に出勤、着替えてからお客さんのチンコをシゴく生活をしていました。

 

面接自体はそんなに受けていません。入りたい会社の選考が早めで、割と直ぐに決まりました。ラッキーでした。

(ちなみに内定の連絡の電話を貰ったのは風俗の待機中で、かなり焦りましたが、お店の女の子が一緒に喜んでくれたのが嬉しかったです)

 

就活が終わると整形で頭がいっぱいになりました。

「可愛い顔で社会に出てやる!」

そう思って、大学のうちに整形しました。これ以上いじっても可愛くならないんだなってことがわかった頃に整形をやめました。ちょっとマシになったブスが完成しただけでした。

 

でも、今ブスで悩んでいません。

私の選択は正しかったと思っています。

 

就活中には「やりたいこと」とか、見つけられませんでした。でも今の仕事は楽しいです。最近仕事の中でやりたいことも見つけました。

ブスに悩まず毎日出社出来ます。これは凄いことです。

 

ブスのみなさんへ。やりたいことを見つけるのはすごく素敵なことです。でも華やかな業界は美人が多いです。某大手アパレルは「美人しか昇進できない」なんて噂もあります。やりたいことをやるな、とは言いません。でもブスに負けそうな時はこういう逃げ道もあります。

 

あなたの心が救われますように。

2020年卒のブスより。

 

 

 

 

 

1年4組であたしだけ幸せにしてよ

今日会社でゲロを吐いた。

 

なんでもないことだった。

会社で誕生日の話になり、上司が

俺の嫁、誕生日11月11日でポッキーの日やねん」

と言った。これがダメだった。

涙が出そうになりながらエクセルの画面を眺めた。マスクの中で口をギュ〜ッと閉めた。でも耐えられなくてハンカチを持ってトイレに行った。

大泣きはしなかった。涙が何個か流れただけだった。軽傷で済んでよかった。鏡を見たらアイラインが滲んでいなくて安心した。ささっと席に戻った。普通にうんこしたくらいの時間しか泣かなかったのは、私にとっては成長だった。

 

高校でいじめにあった。きっかけはある女の子の悪意だった。(いじめられる方にも原因があると思うし、当時の私はいじめられそうな女の子だったが、この時のことはクラスメイトが100%悪いと思う事でしか自分を保てないので、そういう意見は聞く気がない。あいつらが悪い)ゴールデンウィークには友達がいなかった気がする。クラス全員から無視され、不登校になった。たまに学校に行くと、机にゴミとかガムが入れられていた。

その日も、たまたま学校に行った日だったんだと思う。勇気をだして教室に入った日だったんだと思う。だって夏休みには不登校だった私が11月にまともに学校に通っているわけがないのだから。

うちの学校は校則が厳しくて、携帯もお菓子も禁止。だから授業の合間の10分休憩は地獄だった。友達ゼロの私にはめちゃくちゃ長かったし、あたしに嫌がらせした子達が楽しそうに笑っているのを見ないといけないのが拷問のようだった。なんで、この子達楽しそうなんだろう、笑っていることすら許せない、そう思うけれど、心の中では怒っているけれど、その時の私は声もほとんど出なくて、何も出来なくて、ただ時間が過ぎるのを待つだけだった。

 

昼休みが1番きらいだった。誰も来ない図書室の、勉強をするために区切られた机で静かにしていたと思う。ひとりでご飯を食べるのが嫌で、便所飯をしようとした日が1日だけあるが、「みんなでトイレいこ!」みたいな子達がトイレに来るせいで、トイレにすら居場所がなかった。臭い場所で味のないお米を静かに噛み締めながら、声も出せずに泣くだけだった。それからと言うもの、私のお昼ご飯は水筒に詰めたウィダーインゼリーだった。もちろんそんなもので腹が埋まるわけもないが、ひとりでご飯を食べるよりずっとマシだった。あたしに嫌がらせをした子達がはしゃぐ声を聴きながら、笑われながら食う飯より、静かな図書室でウィダーインゼリーを飲む方がマシだった。

昼休みが終わる10分前に、ゆっくり歩きながら教室に戻っていた。その日は11月11日のポッキーの日で、みんながポッキーを片手に楽しそうにはしゃいでいた。

「あげる!」

「味交換しよ!」

そんな感じだった。普段はお菓子は禁止。なのに、この日は先生も黙認していた。

私はもちろん貰えない。みんながあまりに楽しそうで辛かった。いつもの100倍楽しそうだった。体育祭や文化祭みたいな日だった。誰もあたしとは話してくれないのに、それをずっとみせられていた。(書きながら涙でてきた)

この後どうしたかは覚えていないが、多分帰って家でずっと泣いてたと思う。テレビを見てもポッキーのCMばかり、Twitterを見ても「ポッキー」という投稿ばかり、逃げる場所はなかった。

父と母に泣きながら話したら「ポッキー買ってこようか?」としょんぼりした顔で言われた。「そういうことじゃないもん」と、余計泣いた。

学校の校則ではダメなのに、なんで今日はポッキーOKなの?と思っていたけれど、今なら理由がわかる。先生は陽キャが好きだから、それだけ。

次の日、いつも通り学校を休んだ。1番近くのお店でトッポを2つ買った。ポッキーにしなかった理由は「トッポの方がチョコが多くて優秀で、お前らよりあたしの方が幸せ」と思いたかったから。泣きながら食べた。美味しかった。けどこんなのがしたかったわけじゃなかった。

 

今日は上司のその発言以降、何となくぼやぼやしていた。エクセルを眺めながら、高校の出来事を思い出して、気持ち悪くなってまたトイレに行った。軽めのゲロを吐いた。

帰り道も泣いた。今日は雨で、傘をさしていたから、多分そんなに泣き顔を見られていないと思いたい。

 

高校では嫌なことがたくさんあった。単位がギリギリで留年しかけて、冬に辞めた。

高校2年生の終わり頃に「あの子たちよりも良い大学に行く」と決めた。大嫌いなクラスメイト達のほとんどよりは、良い大学に行けた。

勉強している時は「この大学に入れたら、あたしはあの高校の呪いから救われる」と思っていた。

第1志望の大学を出た。整形して前より可愛くなった。それなりに入りたかった会社に入って、やりたかった仕事を任されつつある。めちゃくちゃかっこよくて、優しい彼氏も出来た。ぱっと思いつく嫌なことはない。

 

それなのに、なんで、こういう時にあたしの邪魔をするの?

 

結局どれだけ幸せになっても、あたしはあの頃に囚われている。

あなた達は1年生の冬に高校を辞めたクラスメイトの事など忘れているでしょう。

あたしは色んなところで、今日みたいに思い出すよ。体育祭も、文化祭も辛かった。けれどそれには日付がないし、大人になったらその話をすることなんかほとんどない。ただ、ポッキーの日だけは毎年ある。馬鹿馬鹿しい。やめたらいいのに。

 

あの時があたしの人生で1番辛い時だと言いきれる。あれより辛い時期がずっと続くことは二度とない。だって、まわり全員から無視されることなんか絶対ないもんね。

なにか乗り越えられない壁にぶつかった時、あたしはあの高校の校歌を歌う。あの時よりはマシだなって思えるから。

 

あの高校では、ここにいちいち書いていられないほど、山ほどのトラウマを植え付けられている。何かある度に思い出して泣くよ。お前らはあたしのこと覚えてないけど。

けど、覚えてて欲しいわけじゃないの。ただ、絶対あたしより不幸になって欲しいの。あたしだけいじめの後遺症背負って生きるのとか超御免。絶対無理。お前ら前科あるくせに普通に生きすぎ。

神様、もしいるのなら、1年4組のみんなを絶対絶対絶対絶対不幸にしてください。あと、ポッキーの日は無くしてください。

 

 

 

 

 

別の世界では恋に落ちない2人だけど

彼の初恋の女の子になりたかった。

初めての彼女になりたかった。

ファーストキスも、初めてのセックスも、あたしとして欲しかった。

 

彼の元カノは3人

1人目は中学から付き合っていた彼女。学校のマドンナみたいな女の子だったらしい。

彼は「彼女が進学するから」という理由で高校の進路を決めた。

不良だった彼は高校の時たいそうモテたそうだが「あの子が彼女なら仕方ないよね…」と、身を引く女が多かったそうだ。

2人目は飲み会で知り合った大学生の彼女。

彼が19くらいの時に知り合ったそうだ。それはもう可愛くて、「めちゃくちゃいい子やった」「しかも頭も良かった」と言っていた。

彼女と結婚するために、一緒に貯金までしていたらしい。

3人目は2年前に付き合っていたモデル。あたしと同い年らしい。写真を見せられた。鼻筋が綺麗で、頭が小さかった。キャスケットが似合う女の子だった。

彼はクリスマスにペアリングをあげていた。(中に名前が掘ってあって腹が立ったので、風俗店での源氏名をその女の名前にした)

そして4人目があたし。風俗で働いて貯めた金で整形したけど下の上くらいの顔で、穴モテしかしたことが無い。歩いていたら「ブス」と言われたことが何度かある。

 

知り合った時、既に彼はアラサー。当然彼の初めては、もう何も残っていなかった。

クリスマスに見たイルミネーションは元カノのお古、あの場所も、あの歌も、別の女との思い出がいっぱいだ。

あたしももう立派な大人だし、30手前の男と付き合っているから、それは当たり前のことなのだ。あたしがRADWIMPSを聞いた時に思い出す男がいるように、彼にもそういう女がいる。あたしがあの道を歩いた時に彼を思い出すように、彼にもそういう女がいる。お互い様だし、当たり前のこと。でもそれを受け入れるほど、お互い様だと割り切れるほど、あたしは大人ではない。

 

だから、いつも「もしも」を考えてしまう。

「もしも」中学で出会えていたら、初恋の女の子になれたのかな、とか。答えはNOに決まっているのに。

中学の頃のあたしは今の100倍ブスだった。天パで髪がボサボサ、顔もブス、暗めの陰キャ、男の子と会話するなんて発想すらない。ラスボスマドンナの前ではスライムよりずっと弱い。

 

 あたし達は最悪の出会い方をした。

ナンパされた男と付き合ったり、Tinderでセックスして付き合ったり、色んな人がいると思う。

あたし達はそれよりもずっと人に言えないような、ここに詳しく書くことが出来ないくらいの、最悪の出会い方をした。

でも、この出会い方でなければ、お互い恋に落ちなかった。初恋の彼女にも、ファーストキスの彼女にもなれなかったが、今愛してもらえているのは、何者にもなれないタイミングで出会えたからだ。学校で目で追ってしまうような相手では無いし、飲み会で声をかける相手ではない。あのめちゃくちゃ汚い出会いでしか、恋に落ち得なかった。良い言葉で言えば奇跡なのかもしれない。けれどそんな綺麗なものじゃなく、言葉にするなら「程よい」というのが1番的確だ。

あたし達は「どんな世界でだって、君と出会えたら必ず恋に落ちていた」なんて2人ではなく、あの時「程良かった」2人なのだ。

 

あたしが元カノに嫉妬すると、彼は

「今一緒におるのはプーちゃんやで」

と眉を下げて言った。先日そういう問題ではないと怒ったら

「せやな、嫌やもんな、もうそう言わんとくな」

と言われた。優しいやつめ。

今一緒にいるからと言って過去が無くなるわけでは無いのだ。元カノの腹が立つところはそこ。無くなってしまえ。

 

「最初の女になれないなら最後の女になればいいじゃん」

そういう人もいるだろう。

確かに最後の女にはなりたい。しかし、それは「最初の女をあきらめる理由」にはならない。

あたしは絶対彼の最初がほしい。元カノと一緒にやった事はやりたくない。例えば恋空を一緒に見るとか、ユニバに行くとか、カーセックスとか、一緒に貯金とか、ペアリングとか!!!!

 

あたしは絶対意地でも、数少ない彼の「初めて」を掘り出してやるつもりだ。

先日、出かけている最中に彼の着ていたTシャツが事故で汚れてしまい、彼がブルーになっていた。せっかくなので良いものを買おうと1万円くらいのポロシャツを買った。彼はお値段以上の喜び方をしていた。買ったこちらが幸せになった。もう5枚くらい買ってやりたいくらいの喜び方だった。

さらに彼は

「まって…俺、女の子に服買ってもらうの初めてかもしれへん…」

と、自分で過去の記憶を確認しながら、つぶやくように言った。

こういうのをね、探して大切にしたいのよ、あたしはお前の元カノよりお前のこと好きだし、あたしが1番「初めての数が多い女」になりたいから。

 

 

 

 

 

 

 

母より幸せになってはいけない

母の日です。

毎年何かしらしているのですが、今年はコロナの影響もあり、可愛いプレゼントが見つけられず、電話だけで終わってしまいました。後日何かしたいですね。

 

私は母が大好きです。

母は美人で、料理が上手で、女性らしくて、優しくて、母のようになりたいと思ったことは何度もあります。それを前提に、続きを読んでください。

 

私は、「母より幸せになってはいけない」とここ数年思っています。

 

母は忙しく、いくつも仕事をして、家事にも追われ、肌も荒れて、父が嫌だから家に帰らないように外出をしています。

父は良い父でしたが、良い旦那ではありませんでした。家事は全て母がこなしていました。言動は時にクレイジーで、全ての責任を母に押し付けるような言い方をすることがよくあります。何かあれば母のせいでした。

私は小さい頃からワガママで、私もまたクレイジーでした。最悪のクソガキ。私なら私を育てたくありません。

 

父と母は日常的に喧嘩をしていました。

小学校に上がったくらいの頃、父と母の喧嘩に

「2人とも仲良くして!」

と言いに行ったことがあります。

その時母に「あんたのせいで喧嘩しとんよ!」

と言われました。大人になってからも、この言葉はず私の胸にずっと残っています。

 

私は、私と父が母を不幸にしたと思っています。だから、母の日は純粋に「ありがとう」という気持ちにはなれないのです。誰にも言えませんが「今までごめんなさい」の気持ちの方が強いです。

 

母はすごく優しいし、いつもあたしの事を思っていてくれます。

しかし、恋愛や結婚、ファッションや美容の話題になると悪意とも取れるようなことを言います。

「そんな服着てどうするん?」

「彼氏の職業それじゃろ〜え〜」

母は自分と同じような道を歩ませたがる節があります。その延長で、自分が出来なかったことや、失敗したことは娘にも失敗して欲しいように思えます。

 

恋愛や結婚、女の子として楽しもうとしていることは、きっと大成してはいけないのです。母を不幸にしたのだから、あたしも同じ道を辿って欲しいのかもしれません。

母はきっとそんなことは思っていないでしょう。でも私はどうしてもそんなことを思うし、今後も母の日を純粋に祝うことはできないと思います。

母が幸せになりますように、そうしたら私も幸せになって良い気がします。