今日も酒を言い訳に。

メンヘラの恥ずかしい毎日

母より幸せになってはいけない

母の日です。

毎年何かしらしているのですが、今年はコロナの影響もあり、可愛いプレゼントが見つけられず、電話だけで終わってしまいました。後日何かしたいですね。

 

私は母が大好きです。

母は美人で、料理が上手で、女性らしくて、優しくて、母のようになりたいと思ったことは何度もあります。それを前提に、続きを読んでください。

 

私は、「母より幸せになってはいけない」とここ数年思っています。

 

母は忙しく、いくつも仕事をして、家事にも追われ、肌も荒れて、父が嫌だから家に帰らないように外出をしています。

父は良い父でしたが、良い旦那ではありませんでした。家事は全て母がこなしていました。言動は時にクレイジーで、全ての責任を母に押し付けるような言い方をすることがよくあります。何かあれば母のせいでした。

私は小さい頃からワガママで、私もまたクレイジーでした。最悪のクソガキ。私なら私を育てたくありません。

 

父と母は日常的に喧嘩をしていました。

小学校に上がったくらいの頃、父と母の喧嘩に

「2人とも仲良くして!」

と言いに行ったことがあります。

その時母に「あんたのせいで喧嘩しとんよ!」

と言われました。大人になってからも、この言葉はず私の胸にずっと残っています。

 

私は、私と父が母を不幸にしたと思っています。だから、母の日は純粋に「ありがとう」という気持ちにはなれないのです。誰にも言えませんが「今までごめんなさい」の気持ちの方が強いです。

 

母はすごく優しいし、いつもあたしの事を思っていてくれます。

しかし、恋愛や結婚、ファッションや美容の話題になると悪意とも取れるようなことを言います。

「そんな服着てどうするん?」

「彼氏の職業それじゃろ〜え〜」

母は自分と同じような道を歩ませたがる節があります。その延長で、自分が出来なかったことや、失敗したことは娘にも失敗して欲しいように思えます。

 

恋愛や結婚、女の子として楽しもうとしていることは、きっと大成してはいけないのです。母を不幸にしたのだから、あたしも同じ道を辿って欲しいのかもしれません。

母はきっとそんなことは思っていないでしょう。でも私はどうしてもそんなことを思うし、今後も母の日を純粋に祝うことはできないと思います。

母が幸せになりますように、そうしたら私も幸せになって良い気がします。